日本代表DF吉田麻也は、以前こんなコメントを残した。
「アイドルのライブじゃないんで、さすがに負けた後はブーイングでもいい。普通、ホームで0-2と完封負けしたらブーイングは起きると思います。」
日本代表戦でブーイングが発生しないのは、熱心なサッカーファン以外の一般層が多いからだろう。そして、それはもちろん悪いことじゃないんだけども。各クラブの有料ファンクラブ会員枠のチケットとか、用意してくれてもいいよなぁと思わんでもないがw。
イベント然とした雰囲気と共に、「今日は負けちゃったけど、まぁW杯には出られるよねー大丈夫大丈夫。」という安心感もあるかもしれない。なんだかんだと結果だけ見れば順調だもんね。
「愛のブーイング」が日本代表戦で発生するようになるのは、再び日本のW杯出場が本気で危うくなる、もしくは一度でも逃してからなのだろう。「楽しかったね」「残念だったね」というだけじゃない感情が、観客の心に生まれてくるだろうから。
さて、取り扱いが難しいのをわかっていながら書き始めたこの話題も最終回(にしたいw)。そんな中でも一番難しい話題だと思ってる『試合後の味方選手へのブーイング』について。
何が難しいって、「共に戦う」相手に刃を向けることに他ならないから。だからこそ、審判や相手選手に対して以上に無いほうがいいし、よほどの事が無い限りは全力で回避すべき事態だ。でも、状態が上がってこないチームに業を煮やして、しばしばブーイングは起こりうる。
「失敗したら慰めてほしいもの。だから味方へのブーイングはしない。」的な意見には違和感を覚える。仕事の失敗は叱責されるものだし、それを受け止めて次回への反省にするのがプロというものだろう。それをフォローするのは仕事仲間の役目であって、顧客の役割ではない。
では「12番目の選手」とも称されるサポーターは、仕事仲間なのか顧客なのか。勝たせてやれなかったのは俺らにも責任があると、共に悔しさを噛み締めるのか。それとも「こんな試合しやがって」と、不甲斐ないチームに対して叱咤するのか。
それはどちらも正しいのだろう、と思うのだ。チームを鼓舞することしかできないけれど、それでも「共に戦う」存在でありたいと願うのがサポーターなのだから。
それでも発生してしまうチームへのブーイングは、「そんなもんじゃないだろ、もっとやれるだろ!」というところから生まれるものであってほしい。間違っても、ただの敗戦の腹いせだけになってはならない。正直線引きは難しいけれど、そこにメッセージを込めて発せられるものならば、それは選手にも伝わってくれるはずだから。
そんな御伽噺みたいなことがあるわけないって?
実例ならば、他でもない湘南ベルマーレが示しているのですよ@FC東京戦。
もっともこの時は、悪夢の磐田戦に続いてC大阪戦でも発生してしまった直後、選手が引き上げる直前にベルマーレコールを入れたコルリダさんの大ファインプレーだった。あそこでブーイングをやりっぱなしだったら、きっとここまで丸く収まってなかったんじゃなかろうか。ありがとうございますホントに。
あんだけ大ブーイングしたゴール裏が、直後にブーイングを上回るくらいの大大ベルマーレコールで選手達を送り出すことができたってこと自体が、応援も「愛」ならブーイングも「愛」ってことの証明だと思うわけですよ。
前回のコメントで「ブーイングって言い換えても要は野次ですよね?」という一言をいただいた。確かに、個別にギャーギャー言ってても届かない野次を、単純な発声に置き換えて束ねて大きくしているのは否定できないかなと。個別の野次を束ねることで封じ込めてるという側面もあるとは思うけど。
どんなに綺麗事を言ったところで、他人の悪感情を見聞きするのはイヤだという意見があるのは当然。ブーイングなんて無いほうがいいのはもちろんだし、無いまま試合が終わって和気藹々と帰宅できればそれが一番。そんなことは皆わかってる。ブーイングをする側もね。
前回書いた事に追加するなら、審判やら相手選手へのブーイングについては、味方選手がフェアプレー精神で文句を言わない代わりに俺らが言ってやるぁ的な感情もあったりするよね。発生理由も「怒りゲージ」の長さも千差万別なので、まとめて語るのは難しいもんですね。…やめときゃよかったw。