湘#48 れび@湘南サポBLOG Ver.2

スポーツナビ+(ブログ)サービス終了に伴い、引っ越してきました。湘南ベルマーレを応援していきます。

矢野謙次, for Justice, for Love.

2018年10月10日。一人のプロ野球選手が引退した。華々しいスターロードを歩むでもなく、輝かしい大記録を達成したわけでもない。怪我も多くて厳しいプロの世界で16年生き抜いたにしては通年でスタメンに名を連ねた期間も無い。

それでも、その情熱溢れる泥臭いプレーと勝負強い打撃で、巨人ファンのみならず移籍先の北海道日本ハムのファンにも愛された。彼の名は、矢野謙次

矢野謙次 - Wikipedia

矢野 謙次(北海道日本ハムファイターズ) | 個人別年度成績 | NPB.jp 日本野球機構

子供の頃からの巨人ファン歴の中で、唯一ユニフォームを購入した選手。湘南のユニでも48を背負っているのは、ケンジの存在があってこそだ。それほどに彼のプレーを愛していた。この番号自体が特別になってしまうほどに。

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そして、忘れちゃいけないのが応援歌。およそ野球の歌とは思えない大袈裟な歌詞だけどw、球場で歌うと信じられないくらい盛り上がる、日本プロ野球史に残る名曲だ。他球団のファンでも、この歌だけは好きだーという人はよく見かける。

ただ初球打ちで凡退すると「やーのーけんじーきあいーのー…ああぁぁぁ(ため息)」みたいになってしまって、少々残念な感じになってしまうという弱点もあるw。

矢野謙次 気合の戦士 矢野謙次 さあ立ち上がれ(かっ飛ばせーケンジ!)

その心に火をつけて (オイ!オイ!オイ!オイ!)

熱く熱く体を燃やせ (オイ!オイ!オイ!オイ!)

正義のために (矢野謙次!) 愛のために (矢野謙次!)

命を懸けて戦え(かっ飛ばせーケンジ!)

 

読売ジャイアンツ 矢野謙次応援歌 2014CS final第4戦

道程

プロ入りは2003年。激戦区の外野陣の中で、徐々にではあるが頭角を表していった。ケンジが巨人ファン以外にその存在を最初にアピールしたのは、2007年の代打逆転満塁弾だったろう。この時は代打の代打であり、プロ野球史上初の快挙だったそうな。


07 5/31 巨人・矢野 代打逆転満塁本塁打

当然ながら、あくまで目指すはレギュラー定着。しかし守備に少々ムラがあったり 、定着しかけたところでまた怪我をしたりで、なかなか勝ち取ることはできずにいた。そして常勝を求められる巨人にあって、当時は戦力補強は積極的に行われていた。


矢野謙次 大型補強に挑む 1/2


矢野謙次 大型補強に挑む 2/2

それでも腐らず悔しさを圧し殺して努力を重ねていった。 一打席に賭ける集中力で存在感をアピールして、代打の切り札という居場所を確立していった。

チャンスにケンジがコールされると、巨人ファンからは期待の歓声が沸き起こった。個人的には、塁が埋まった状態で代打で矢野謙次が登場する場面を、格闘ゲームの超必殺技になぞらえて「ゲージがたまって矢野謙次」と呼んでいたものだw。

通算代打成績は、351打数96安打で.274。ホームラン10本、打点72だそうな。通常の打席も含めた打率が.262なので、本当に代打のほうが怖いバッターだったんだ。

代打に活路を見出してきたケンジだったが、2014年は不振を極めた。2015年もなかなか復調の気配が無いまま迎えた6月、北海道日本ハムとのトレードが成立。

移籍先がDHのあるパだったこと、移籍時期がセとの交流戦直前だったことが功を奏したか、 移籍直後にチャンスをモノにして、北海道日本ハムのファンの心を即座に鷲掴みにしてみせた。「ファイターズ最高!」の名言も生まれた。


【プロ野球パ】矢野、移籍後初アーチは価値ある逆転3ラン!初球を見事とらえる 2015/06/14 F-DB


【プロ野球パ】二人の代打の切り札、矢野・大谷のヒーローインタビュー 2015/08/08 F-E

移籍初年度こそアピールできたが、怪我などで出場機会は減っていった。そして2018年。同世代がばたりぱたりと引退していく中、彼もユニフォームを脱ぐ。

引退宣言の直後の9月28日、金曜日。北海道日本ハムと巨人との二軍戦3連戦で懐かしのジャイアンツ球場に戻ってきたケンジ。会社を休んで駆けつけるべきか悩み、行くのをやめた。三連戦だったし土曜日も顔くらいは見られるかと思ったんだよ。

行くべきだった。ケンジは最後までケンジだったんだ。努力を重ねてチャンスを待ち続けて血と汗を染み込ませた古巣に戻ってきた彼は、惜別の逆転3ランをかっ飛ばしてみせたんだ。あぁ俺の馬鹿orz。


2018/09/28 代打 矢野謙次 逆転スリーランホームラン!そして…胴上げ ありがとう、ヤノケンジ!

涙が出るほどの後悔を抱えたまま、台風の接近する29日にジャイアンツ球場に向かったはいいが、試合は中止。何とか顔を見れないものかと思ったが、それも叶わず。というか、そもそも金曜しかいなかったらしいんだよorz。

事前に告知しておいてくれりゃあ、仕事なんて蹴飛ばして駆けつけたものをさぁ…。最後のユニフォーム姿を、ホームランを打つ姿を目に焼き付けられないとはorz。

引退試合~セレモニー

何度も書いちゃうけど、ここまでしてもらうほど御立派な成績を残してきてはいないんだ。よくてファン感謝デー的なイベントで、同じ年に引退する選手と一緒に挨拶させてもらう程度ですよ。たかだか移籍3年目なんだもの。

途中怪我ばっかりでさ。最後はロクにバットも振れないままひっそりと引退していくんじゃないかなんて思ったこともあったよ。ところが引退試合、代打で出てきてきっちりヒットを打って有終の美を飾っていく。大したもんですよ。

ファンにも球団にも愛されて、専用の引退試合とセレモニーを用意してもらえて。ビデオメッセージには古巣の巨人からもコメントもらってさ。こんな現役生活のエンディングが迎えられるって、なんて幸せなことだろう。

16年間、お疲れ様でした。

子供の頃、金曜夜の新日本プロレスに夢中だった。長髪を振り乱して戦う"革命戦士"長州力の、テレビ画面越しにも伝わってくる熱さと激しさに魅了されたものだ。

大学生になってから、たまたま深夜にチャンネルを合わせた全日本プロレスに、太陽のような若者が映っていた。オレンジのタイツをはいて我武者羅に巨大な体躯の外国人レスラーにぶつかっていっては叩き潰されていた。彼の名は、小橋建太(当時は健太)。

それでも努力を重ね、自らの熱量で団体とリングとファンを魅了し続けた。癌を克服し、膝が角砂糖のようになりながらも闘い続け、ホロボロになりながらも、最後まで熱量を失わずに小橋建太でありつづけた。

たまたま転勤先が茅ヶ崎だったことから縁のできた、湘南ベルマーレ。サッカー経験者であるにもかかわらず、どこのサポーターにもなれなかった俺をここまで惹きつけたのは、初期の"湘南スタイル”から伝わる、まっすぐな熱さだった。

そしてプロ野球。親父の影響で子供の頃から巨人ファンで、惰性で応援していたような俺を変えてくれたのは、やっぱり矢野謙次の一振りに賭ける情熱の"熱量"だった。

人をひきつけてやまない人柄は、コーチになっても大成するかもしれないね。でも今は、ひとまず翼を休めてくださいな。16年間、お疲れ様でした。

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